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木と樹

2018/10/31
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福正寺のある愛知県西尾市は世間的には田舎と呼ばれています。

田舎には多くの草や樹が季節ごとに変化をして、否が応でも春夏秋冬を教えてくれます。

今の季節は、秋から冬に向けてそれぞれの草や樹は葉を枯らしたり、実を付けて次の春の準備に入っています。

つい先日まで青々としていた桜の樹は枝だけになってしまいました。

草はいつの間にか、ススキの穂が目立つようになってきました。

草や樹は誰に教えてもらったのかはわかりませんが、きちんとその時その時に合わせて自らを変化させて行きます。

引き受けるとはそういう姿なのかもしれないですね。

先日、知り合いのご住職の法話を聞いていた時に、樹と言う文字の解釈について親鸞聖人の言葉を引用されていました。

樹を(たつ)と読まれている事についてでした。

木と樹では同じ読み方でも想像する時にはかなり違いが有ると思います。

木には枝や葉も想像できますが、生命感があまり感じられません。

樹と言う文字には、必ず根まで付いていると想像します。

樹の根が張れる場所は、土の上でしかありません。

だからこそ、樹を使い(たてる)と読む場合には、根と土の関係性がしっかりとしたものでなくてはならないのです。

種から始まる植物の一生は、何処に行くわけでもなくただ根の張った縁のあった場所での一生です。

我々の一生とは大きく違います。

だだ、根の張った場所で縁がつながれば、草であれば秋まで育ち、実を付け枯れるまで行けるでしょう。

樹であれば、長い時間をそこで過ごし、多くの命の支えとなり、縁尽きていつか枯れるでしょう。

必ず終わりが有る事だけは、私達と同じです。

ただ動ける私達とは動けない植物がその地に身を預ける姿は、どこかに人知れない力強さを感じます。

縁を引き受け縁と向き合う姿は、私達人間には、とても難しい事ですが、心の何処かに根を張れる、人として樹立できる場所を頂ける人生はとても豊かな気がしました。