幸せになろう お念仏という幸福論
幸せになろう
お念仏の幸福論
真宗の教えでは、お念仏を大切にしています。
これは、真宗に限らず、法然上人の確立された、浄土門の教えを大切にされている教団は、どこも同じだと思います。
真宗の宗祖である、親鸞聖人も法然上人の門弟なので、もちろんお念仏の教えを、大切にしています。
ここで大切なのは、お念仏とは一体何なのか。
お念仏を称える幸福論とは、どういう意味なのか考えてみようと思います。
①円融至徳の嘉号
親鸞聖人の書き残された、教行信証という書籍には、お念仏の事を、「円融至徳の嘉号」と表現されています。
円融至徳という事は字のごとく、総てが角の無い状態で融合しあい、最高の状態で徳に至ると考えて良いと思います。
②常にわがまま
私達には常にいろいろな出来事が、おきています。
その、起きている出来事に対して私達は、損得や善悪で判断をしています。
つまり、常に私達は自己都合を優先して、物事を半面しか見ていないという事になります。
車で走っていても、時間に余裕がある時にはのんびり走り、スピードを出す車に「危ないな」という感覚を持ちます。
しかし、いざ自分に時間がない時には、のんびり走る車を邪魔に思います。
車だけではなく、人間関係やお天気など、総ての事で同じような事は起きます。
③ただお念仏
実は、私達はみんなワガママな存在なのです。
その、ワガママな自分とどう付き合うかという教えが、「円融至徳の嘉号」という文字に隠れていると考えます。
お念仏には何かを清める力も、浄化する力も一切ありません。
ただお念仏でしかありません。
④時間が必要
しかし、円融至徳の嘉号と、具体的な表現で扱われるときに、お念仏は「人を幸せにする能力」がきちんとあると表現されています。
先に書いたように、人は物事を自己都合でしか見ることができません。
それは、その時(短時間)判断の問題になります。
しかし、一つの物事は、時間の経過と供に見え方が少しずつ、変化して行きます。
時間とともに、同じ物事でも、見え方が変化して行きます。
ちょうど、氷が解ける様な物かもしれませんし、お漬物の様な物かもしれません。
⑤曇鸞大師和讃
親鸞聖人の書き遺された曇鸞大師の和讃に、
無礙光の利益より
威徳広大の信をえて
必ず煩悩の氷溶け
即ち菩提のみとなる
罪障功徳の体となる
氷と水のごとくにて
氷多きに水多し
障り多きに徳多し
(一部読みやすいように漢字にしました。)
という和讃があります。
不都合な事も時間が過ぎる中で少しずつ変化し、必ず徳の多いものに変化するとあります。
また、不都合を氷とし、自分が受け入れる状態を、水と表現されています。
⑥寒いから
氷は、冬の寒さの厳しい季節に生まれます。
そして、氷の下ではそれぞれの命は、静かに変化をしながら、氷が溶ける時を待ちます。
植物は、氷の下で糖分を増やし、枯れない変化をします。
なので、冬野菜が美味しいのも、寒さのおかげでもあります。
動物である私達は、静かに寒さを覚える事で、温かさを再確認できます。
不都合は嫌ですが、不都合のおかげで、普通と思う時間の中に隠れている、「温もり」や多くの「好都合」を見つけられるのも事実です。
⑦成功には物差しがある
成功には物差しがあります。
しかし、幸福には物差しが無いのです。
幸福とは「自分が決めて良い物」という事を表しています。
これはお念仏と同じです。
自分と諸仏(たくさんの気付き)との関係性を、どの様に築き上げて往くかだけです。
⑧まとめ 親鸞聖人からの応援メッセージ
「円融至徳の嘉号」という言葉には、単にお念仏を表現しているのではく、不都合の生み出す、後の大切さを知る事で、嫌な事や辛い人生経験を、学び、生きる糧に変えて、想像力をより豊かにして、自分らしく生きる事の大切さを説かれている幸福論だと思います。
人生は総てが正解です。
「円融至徳の嘉号」とは、いろいろなご苦労で、自己肯定感を無くした総ての方々に対して、親鸞聖人から時間を超越し贈られた、応援メッセージだと思います。