平和とは退屈な時間
戦争と平和
最近では、多くのメディアがロシアとウクライナの戦争報道をしています。
①戦争とは平和とは
戦争と平和は、隣り合わせの様な気がする反面、全く別物の様にも見えます。
また、平和は非常に伝え難く、戦争は非常に伝え易いものです。
②戦争は面白い
戦争と言われればすぐに、戦車、大砲、壊れた街並みなど、頭の中でいろいろなものが、具体的に浮いてきます。
戦争と言うものは常に、兵器などを用いて人命を奪い、街などを破壊する事で、多くの人の心に「悲しみ」や」怒り」などの感情を生み出す力があるからだと思います。
そして戦争とは、常に刺激的で具体性が備わっているのです。
誤解を生みそうですが、人類にとっての戦争とは、「面白い事」に分類されるのです。
③平和は抽象的
反対の平和はどうでしょうか。
戦争と比べると、非常に分かり難いのが、実際だと思います。
戦争の絵は描きやすいですが、平和の絵は非常に描き難いです。
つまり、戦争を具体的と表現するのであれば、真逆の抽象的で、何となくふんわりしているのが、平和だと思います。
平和を具体的に表現することは、かなり難しいか思います。
④平和の中身
これは私がよく使う、「当たり前」と言う日常の表現に近いのだと思います。
つまり、平和とか当たり前と言う状態は、現実には何も起こらない、退屈な状態と考えられます。
しかし、これが現実には、一番幸せな状態だとも考えられるのです。
私たちは日常の当たり前とか退屈な時間に、何か喜びを感じる事はありません。
逆に退屈とか、つまらないなどの、不平不満に近い言葉が口に出ると思います。
⑤大悲
しかし、今回のロシアとウクライナの戦争のように、退屈と呼ばれる日常が破壊され、多くの人たちがそれぞれに武器を持つ姿を見ました。
また多くの殺害行為を目にする事になり、初めて退屈や当たり前という中に隠れていた、平和の素晴らしさが見えてきます。
仏教では、悲しみが教えてくれる事から、大悲と呼びます。
つまり平和と言うのは、何かがあるものでは無く、具体的なもの、刺激的な物がない状態なのです。
⑥はかない世界
これは私たちが目にしている、当たり前も全く同じです。
当たり前と言うものは、あって当たり前、当然だと考えそうです。
しかし、実際には当たり前と思っているものは総て、儚いものであり、強靭なものはありません。
常に壊れれば涙が出る、後悔しかない、そういったもので、当たり前はできています。
それが私たち個人の当たり前であり、社会的に広がれば、これが平和と表現されるように、なるのだと思います。
⑦戦争も仏
私たちが今回の戦争を見て何を感じるかは、それぞれの自由だと思います。
是非善悪の総てが、自分の判断で良いと思います。
ただ、今回の戦争を見て、少しでも何かを感じたり、考える事があるのであれば、目の前の当たり前、平和と呼ばれる物を、見つめ直すきっかけとなります。
つまり、気づきをもらえるので、この戦争にも「仏性」が生まれる事になると思います。
⑧一人一人
人類には、何かを見て考えたり、学ぶ能力を備えています。
他所の戦争を見て、色々な思いが生まれる事は、とても大切なことです。
それと同時に、一人一人が、想像力をきちんと持つべきだと思います。
ネットやマスメディアでは多くの人が、ご自身の「良かれ」の中でいろいろな発言や、行動を起こされています。
それらに対して、善悪を語る必要はありません。
こんな時だからこそ、いろいろな人が今ある「当たり前」や「平和」に対して、それぞれの感性で動かれているのだと思います。
⑨当たり前を大切にする
今、私たちができる事は、それぞれが平和を大切にする事しかないと思います。
これは、自分の当たり前を大切にする事に、等しいと思います。
たくさんの人が自分の正義で、殺し合いに参加をしたところで、何も生まれません。
また、何も良い事はありません。
なので、自分ができる事である「当たり前」を大切にする。
そして、平和と言う退屈な時間を尊いものとして再認識する。
それが今私たちにできる、唯一の事ではないかと思います。
まとめ 正義は自分に
一人一人が戦争反対の発言をする事は、個人の自由だと思います。
ただし、戦争反対と言う正義を持つ事によって、異なる意見者との争いが生まれることもあります。
先日の東京大学の入学式でお話をなされた、河瀬直美さんのお言葉は、文字にして読むと良く分かります。
戦争反対という発言にも、注意が必要となるのです。
外に対して正義を持ち、その正義を振り回すのではなく、現状に対して、今の自分に何ができるのか自分を見つめ直す時間だと思います。