ギャルとお釈迦様
ギャルのハッピー論
先日、YouTubeに成田悠輔という名の、最近人気のイエール大学の准教授が出ていました。
①ハッピー
ギャルの「ハッピー」について語られていたのですが、その中で囚われない強さと、何となく幸せという言葉の中にある、周りを気にしない強さについて、語られていました。
②無量と無対
正信偈には無量・無対という文字が出てきます。
この二つの句には、ギャルのハッピー思想にとても近いものがある様に感じます。
正信偈に出てくる無量という句は、浄土三部経ではとても大切で、お経の名前にもついており、仏説無量寿経、仏説観無量寿経と出てきます。
③量という具体性
無量とは、量り知れないとか、量る事には意味が無いというような、量という具体的な考え方に対しての、否定的な表現として無量という句があるのだと理解しています。
具体的な結果を欲しがる考え方に対して、否定的なのが、浄土三部経の教えなのかもしれません。
そして、具体的な物事を求める事から、人の不幸が始まると、教えてくれるのも浄土三部経かもしれません。
④争いの種
具体的な何かを求めるという事は同時に、総てにおいて何らかの比較対象を手に入れる行為と、考える事ができます。
お金であれ、学歴であれ、所有物であれ、総て具体的な物は、比べる事により争いごとの原因になります。
⑤ロシア
現在、ロシアが行っている戦争の中でロシアは、黒海という冬でも凍らない海が欲しいと言われています。
あれだけの広い国土を持ち、エネルギー資源に恵まれた国でありながら、他の国と比べれば、まだまだ無い物ばかりの国だと考えるのが、ロシアのプーチン大統領の考えのようです。
比べるとは、自分の所有している物事の素晴らしさや重要性を、忘れているか、気づいていない、粗末な状態に陥っている状態です。
この様な人の姿は、「世界に一つだけの花」で少し有名になった、仏説阿弥陀経という、お経に書かれています。
⑥覚悟
ギャルの発する、「何となく」という言葉には、不安と向き合い、今を生きる覚悟がある様にも感じます。
私は今年で55歳になります。
この歳になると、「何となく」という抽象的なハッピー感覚よりも、具体的な老後の年金の方が気になります。
もしかしたら、この様に抽象的な物事を欲している生き方から、具体的な物を欲しがる姿へと変化する事を、老化というのかもしれません。
⑦鈍くなる
人は年を重ねる中で、いつの間にか経験を重ねる事で、ワクワクやドキドキという、希望的な感情が心の中で生まれ難くなっていくのかも知れません。
これは、経験によるものと同時に、普通に年を重ねて生きるだけでも、持つ物や守る物が少しずつ増える事も、関係していると思います。
⑧責任
また、歳を重ねる分だけ、これまで積み重ねてきた、物事に対する責任も発生します。
責任を預かるという言葉の中には、最低でも現状維持が存在し、より発展する事、拡張する事が当然の世界だと、勝手に考えてしまいがちです。
私たちはいつの間にか、衰退や減少と言われる、これまでを取り崩したり失っていく状態は、悪い事として扱われると、自分で勝手に感じているからだと思います。
この事は、身体的な老化も含まれてくるからこそ、四苦の一つに老苦というものがあるのかもしれません。
⑨ギャルはお釈迦様
仏教は、ギャルの様にハッピーを求める生きる事に対しては、肯定的だと思います。
私の考えるお釈迦様の生きた姿は、ギャルのハッピーを求める姿と、ほぼ同じです。
違いは、場所と時代くらいで、損得にこだわらず、どこかおおらかで、陽気で力強い、ギャルたちの集団は、「僧伽」そのものの様にも見えます。
⑩ギャルはお手本
人生の正解は、それぞれが決めれば良い事です。
ただ、ギャルの今を生きる姿勢は、今にワクワクできない大人たちが、見習うべき姿の一つである事だけは、間違っていないと思います。
⑪今を生きる
今の事ばかりを考えて、先を考えない愚かな姿と、苦言を発する人もいるかもしれません。
しかし、未来を恐れて、今を大切にできない人が、これから先、未来において幸せを獲る事ができるのかは分かりません。
まとめ ハッピーに生きる
今をハッピーに生きる事が、これまでを肯定できる、唯一の方法だと思います。
そして、未来に向けて、可能性を感じるのは、こういう思想の若者たちだと思います。