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靡不歓喜 同じじゃなくても大丈夫

2022/09/14
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靡不歓喜

今回の題目は仏説無量寿経の最後の句です。

①仏説無量寿経

②靡(なび)かない

③お経の本質

④妥協をしない

⑤スッタニパータ

⑥怒りの親鸞聖人

まとめ 自分の根

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①仏説無量寿経

 仏説無量寿経とは浄土三部経の一つで、親鸞聖人は「真実の教」「浄土真宗」と書き残されています。

具体的にどこが真実なのかまでは書いていませんが、隣に浄土真宗と書き残されているところからも、浄土真宗を解説するためには、大切なお経だと想像できます。

仏説無量寿経は我聞如是に始まり、佛説經已、彌勒菩薩 及十方來 諸菩薩衆、長老阿難、諸大聲聞、一切大衆、聞佛所説、靡不歡喜で閉じます。

終わりのお部分を簡単に訳せば、弥勒菩薩に多方面から来られた菩薩達、長老と呼ばれる舎利弗に声聞と呼ばれるお釈迦様のお話を聞くのが好きな方々、そして多くの大衆がみんな、お釈迦様のお話に靡(なび)きはしないが、歓喜していたとあります。

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②靡(なび)かない

 仏説無量寿経の最後に書かれている「靡く」という表現は、お釈迦様の真似をする、上辺だけの、自分を持たない生き方だと思います。

ススキや稲の穂が風に吹かれ、穂の靡く景色は、上辺から見ればとてもきれいです。

しかし、穂の下から見れば、穂は同じ方向に靡いていますが、根も茎も総てが別です。

上辺を似せるところには、何の意味もなく、物事は本質でとらえる事が大切だと、教えてくださっている様に思えます。

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③お経の本質

親鸞聖人も「第十八願至心信楽の願」に焦点を合わせて、仏説無量寿経の本質を、誰かの真似事には意味が無い事を、教えてくださっているのだと思います。

私達は、いつの間にか世間体と呼ばれる、他人の目を気にして生きる様になります。そして、その姿を大人の姿と表現したりします。

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④妥協をしない

しかし、仏説無量寿経から見えてくるお釈迦様の人生は、人の目を気にしながら妥協点を探し、上手く世渡りをして来た人の人生とは、到底思えません。

どちらかと言えば、自分のやりたい事だけを優先した、ワガママと思われても、仕方のない生き方だと思います。

当然の事ですが、人はみんな自分の都合を中心にして生活を営んでいますので、お釈迦様の様な妥協を許さない人が身近に居れば、色々なところでトラブルの原因になる事は、容易に想像できます。

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⑤スッタニパータ

お釈迦様の逸話を集めたスッタニパータという本があります。

お釈迦様には逸話が多いという事は、それだけいろいろな経験をなされた証とも言えます。

多くのトラブルを経験したからこそ、その時その時で相手に合わせた対応が可能となり、相手を満足させる回答を提供する事ができたのだと思います。

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⑥怒りの親鸞聖人

 親鸞聖人は化身土巻の最後の文章には、朝廷への激しい怒りを書き残されています。

しかし、同じ文章の中で「慶はしいかな」という文章で化身土巻を閉じています。

親鸞聖人も流罪経験という、自分にしか持てない経験の価値に気が付く事ができたからこそ「慶ばしいかな」とい文章が書けたのかもしれません。

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まとめ 自分の根

誰かの真似を生きるのではなく、自分は自分の縁の中で、精一杯自分らしく生きる事の大切さをお釈迦様から直接教えていただいた。

そして、上辺は似ていても、それぞれが自分の根を確認し、自分らしく生きる自信をもらえた。

だから最後に「靡不歓喜」という、言葉で仏説無量寿経は閉じたのかもしれません。

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