人生は何度でもやり直せる
アヒンサカ
①アングリマーラ
アヒンサカという名前はあまり有名ではありません。
あだ名のアングリマーラという呼び名であれば、聞いたり目にしたりしたことがある人もあると思います。
私も、名前の確認で初めて「アヒンサカ」という本名がある事を知りました。
アングリマーラと言えば、お釈迦様弟子ですが、人殺しとしても有名です。
②人殺し
彼の話は歎異抄第十三章(真宗聖典633p)にも具体的に名前は出てきませんが、千人の人を殺す表現として出てきます。
ここでは、信心を持つ事は自分を見失わない事であり、自分を見失わない大切さを語られているのだと思います。
③信心を持つ
信心を持つ事を蓮如上人は、御文五帖五章834pで具体的に至心信楽の願を心得ると表現されています。
至心信楽の願を親鸞聖人は歓喜賀慶と表現し、力強く自分らしく生きる事と表現されています。
信心を持つ事を、自分で考えて、自分で決めて生きて往く事と呼んでも間違いでは無いと思います。
浄土真宗では自分に起きた事を、どの様に捉えて生きて往くかが問われている宗教と言われても大方間違いでは無いと思います。
逆に、親鸞聖人の言葉を妄信する事を、親鸞聖人自身が嫌っているのが、歎異抄の第十三章とも言えます。
④自分で考える
人間が生きて往く中で楽なのは、自分で考えない生き方です。
考えるという事は、そこには考える作業と責任が発生します。
仏説無量寿経の終わりには「靡不歓喜」と書かれています。
ここでも、妄信し自分で考えない姿を嫌う、お釈迦様の弟子たちの姿があります。
⑤結果は結果
人が生きるという事は、多くの出遇いがあります。
それは、都合の良い事もあれば、不都合な事もあります。
それぞれの出会いの中で、どれが正しくて、どれが間違えかは、その時の判断と未来から再確認する判断では、違う結果が生まれる可能性は多々あります。
日本が大東亜戦争で多くの犠牲者を生み、負けた事は80年近く経過した今だから、当時の判断には間違いがあったと、言えるのではないでしょうか。
その時にその場に居て、この戦争は間違いだと言える人は、それ程多くは無かったと思います。
逆に、大本営に踊らされていた人の方が、多かったと思います。
物事を後から評論する事は、誰にでもできます。
⑥自分を見失う
本当に大切な事は、世の中の空気に靡(なび)き、簡単に本質を見失う自分が居る事を、きちんと知る事だと思います。
アングリマーラはお釈迦様と出遇う事で、私利私欲が勝り、大切な事を見失い、多くの犠牲を生み出した事に気が付きました。
その後、お釈迦様の弟子として苦労はあったにせよ、新しい人生を歩むことができました。
仏教はいろいろな考え方や、捉え方で楽しむ事がとても大切です。
⑦人生はやり直せる
アングリマーラが私達に教えてくれたのは、人生はいつでもやり直せる事だと思います。
人は、生きていれば色々な事があります。
「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」歎異抄真宗聖典634pと親鸞聖人のお言葉を残されています。
まとめ 質が悪い
いつだれが犯罪者になるのかなんて、誰も分かりません。
人生にはいくらでもリカバリーのチャンスがあると教えてくださっているのが、親鸞聖人のお言葉だと思います。
親鸞聖人を妄信するつもりはありません。
ただ、出来の悪い私を応援してくれる言葉が多いのも親鸞聖人の特徴で、質が悪いです。