明文規定
明文規定
情報化社会が進み、多くの個人情報が価値を生み出す時代になりました。
時代に合わせて個人情報への見方も変わり、大切な資産として取り扱われる事が組織や個人に求められるようになりました。
①個人情報保護法
最近、個人情報保護法を調べる機会がありました。
その中で、個人情報保護法とは個人の権利を、国を上げて守るという法律だという事を知りました。
そして、必ず個人情報保護法と合わせて出てくるのが、プライバシーの侵害です。
②プライバシーの侵害
初めて知りましたが、プライバシーの侵害については、損害賠償請求をする事はできても、刑事事件になる事はありません。
意外と思われる方は多いと思いますが、プライバシーの侵害には、民事事件として賠償請求をする事は可能ですが、刑事事件としての処罰対象から外されているのです。
ただし、名誉棄損罪の多くがプライバシーの侵害に該当する事から、名誉棄損罪として刑事処罰を受ける事が多く、同じ犯罪として認識されてしまうそうです。
③明文規定が無い
因みに、プライバシーの侵害には明文規定が無いために、刑事罰が無いのです。
明文規定とは、物事を文字にして明確に書き定める事です。
明文規定を作る事で、犯罪者を処罰する事が可能になるのですが、明文規定の隙間を突かれた時には、逆に明文規定が犯罪者を処罰する事を困難にしてしまう働きをしてしまう硬さを持ち合わせています。
④裁判
刑事裁判には凶悪犯罪でなければ時間がかかる事が多く、罰則が確定し被害者救済に動くまでには、更に多くの時間が必要となります。
考え方によりますが、明文規定の無いプライバシーの侵害は、被害者救済を最優先にした法律と表現しても間違いではないと思います。
⑤お念仏にも明文規定が無い
明文規定が無いのはお念仏も同じです。
お念仏には明文規定がありませんので、お念仏を称える事での見返りを、具体的にお伝えする事ができません。
カルト教団と呼ばれる団体の教義には、神仏を拝むことによる見返りが、具体的にあるものが多いと思います。
現在騒がれています旧統一教会の教義では、日本という悪魔の国に生まれた人達は、お金を払う事で救われる事が可能だと教義に書かれているそうです。
私は3000万円の経典を購入する財力はありませんので、見る事ができません。
どなたかお譲りいただければ幸いです。
⑥摂取不捨
浄土門の門弟が大切にする、お念仏の教えには明文規定がありません。
しかし、明文規定を行わない事で、摂取不捨の精神が護られているのだと思います。
摂取不捨は総ての人に対して救われる、阿弥陀の精神の根幹です。
お念仏の教えに明文規定が存在すれば、その規定に合うエリートと呼ばれる人達と、規定に合わない落ちこぼれと呼ばれる人達の、二種類の人達が必ず生まれます。
お念仏の教えには、落ちこぼれを作らない、誰も見捨てないという力強い摂取不捨の精神があります。
そして一人一人が過ごしてきた、人生の総てを否定する事無く、総てを認めて内包していく温かい精神もあります。
⑦円融至徳の嘉号
親鸞聖人はお念仏を 「円融至徳の嘉号」は、悪を転じて徳を成す正智、難信金剛の信楽は、疑いを除き証を獲しむる真理なりと。(聖典149P)と表現なされています。
この表現は総ての人の経験を否定する事無く、人生の総てを内包し糧にする思想の大切さを表現されたのだと思います。
明文規定が無い事は、説明をする側としてはとても難しい事です。
しかし、摂取不捨という何よりも温かく力強い精神を護るためには、伝える側が言葉を学ぶしかないです。
まとめ 柔軟という温かさ
社会の法律と、仏教の精神が同じか否かは私には判断できません。
ただ、明文規定を持たないプライバシーの侵害とお念仏の教えは、どちらも柔軟さを持たせる事で、総ての存在に救済されやすい状態を生み出す、温かさが隠れている様に感じます。