落ちる事が悪い事ではない
空中に投げられた石にとって
落ちるのが悪いことではないし
昇るのが良いことでもない。
①マルクス・アウレリウス
マルクス・アウレリウスの日記、「自省録」に書かれている有名な言葉の一つです。 マルクス・アウレリウスと言えば、ローマ帝国の皇帝であり哲学者としても有名です。
今の時代であれば大谷翔平選手が二刀流として有名ですが、彼も時代を超えて二刀流として名を残した人物です。
②落ちる事
私たちは落ちるという言葉には良い印象を持ちません。
成績が落ちる、株価が落ちる、体力が落ちる。
どれも、嬉々として引き受けるには、勇気のいる辛い物事ばかりです。
しかし、本当に落ちる事は悪い事なのでしょうか。
私の場合、成績が上がる、株価が上がる、体力が上がるとなれば、嫌でも嬉しくて口元が緩んでしまいそうな内容ばかりです。
私の様な人間が考えれば、上がる事は良い事であり、落ちる事は悪い事と発想する事は、仕方がないのかもしれません。
何気なく見ていると見落としてしまうのですが、上がる事、落ちる事には、私たちの都合が深く絡んでいるという事実です。
③長寿
人の人生は四苦と表されていますが、生まれ、歳を重ね、病気にもなり、死を迎えます。
一生というものは、一人一人その長さが違うので優劣をつける事は愚かな事ですが、心のどこかで長生きを長寿と捉え、良い事と認識をする私が居ます。
では、長寿という事は本当に良い事でしょうか。
④成長期
生まれた赤ん坊の時には、何も出来ない状態から人生は始まります。
そして多くの経験を重ねる事でいろいろな事が自分で行えるようになります。
寝返りやハイハイ等の移動に始まり、会話やお食事、おトイレなど一つ一つ失敗を重ねながら身に付けていきます。
意識はしていなくても、自分でできる自分が当然の姿として自分の中で変化していきます。
状態で表現すれば、10代20代が昇っている状態でありある程度昇りきった状態が30代から50代ではないかと思います。
⑤老化
しかし、50代を超えると、老眼や高血圧や糖尿病等いろいろな疾患が出てきます。
今迄当り前にできていた事が困難になってきます。
状態で表現すれば、50代以降はこれ迄できていた事が困難になる事から、落ちるという状態に変化すると考える事は、大方間違い無いないと思います。
⑥必至滅度の願
落ちるという事は本当に悪い事なのでしょうか。
これ迄を基準として、これ迄通り出来る、出来ない、を判断の基準にすれば悪い事になるかもしれません。
それでも、出来なくなっていく自分と向き合う時に、少し目線を変えてみた時には、失う物を持っている自分に気が付く事ができるかもしれません。
仏説無量寿経の第11願には必至滅度の願が書かれています。
失う事の大切さが書かれています。
失う時に見えてくるのが、これ迄維持してきた状態の素晴らしさではないでしょうか。
⑦自分とのお付き合い
自分が持っている中で一番長く持っているのが自分自身という存在だと思います。
生まれて命が終わるまでずっと持ち続けています。
生まれた時には、何も出来ずただ泣くだけだった存在が、多くの事を覚え欲まで身に付ける事ができたと思えば、失うという事が何を表しているのか、それぞれに考えてみるのも悪い事ではないと思います。
まとめ 貪欲に生きる
親鸞聖人はお念仏を円融至徳の嘉号と表現されています。
これは、人生の全部が大切な阿弥陀如来から贈られた経験であり学びだと理解できます。
自分の身に起きた事をどの様に捉えるかは自由です。
ただ、生きる中において、良し悪しを付ける事が勿体無い事だけは間違い無いと思います。