経典を学ぶ
経典を学ぶ
①経典を取り扱う
⑪お作法
僧侶として最初に学ぶべき大切な事として、経典をどの様に取り扱うかがあります。経典の取り扱いというと、直接床に置かないとか、開く前に頭を下げるなどが想像されると思いますが、それらの行為は総て物としての取り扱い作法でしかないと考えて良いと思います。 物事の事に相当する知識としての経典の取り扱いとは、どの様なものがあるのか、きちんと考えないといけない様に思えます。
②教行信証
㉑往相還相
親鸞聖人は教行信証という書籍の中で、回向を往相回向と還相回向と分けています。これは自分のできる事と、自分ではどうしようもできない事に分類なされていると理解しています。
㉒大行
自分のできる事、往相回向と向き合う際の心得として、行の巻では大行と表現されている、お念仏の大切さが説かれています。
㉓大信
次に書かれている信の巻では、大信として至心信楽の本願の文と、書き残されています。信楽を歓喜賀慶と親鸞聖人は解釈なされているので、今の自分を引き受け、自分ができる事に精一杯注力する事の大切さが書かれていると理解しても間違いではないと思います。
③浄土真宗
㉛お念仏
そこから、浄土真宗の教えをいただく生活とは、お念仏と呼ばれる円融至徳の嘉号を大切にする事と、自分のできる事を精一杯行う事の、二つに分解できると理解しています。
㉜しっかり学ぶ
そして、円融至徳の嘉号は経験の総てを豊かに生きる糧にする事なので、聞く耳を持つ事、しっかり学ぶ事と私は理解しています。
それらの事から導き出した私の想像する真宗門徒の姿とは、自分の人生を自分らしく精一杯生きながら、その過程で獲た喜怒哀楽の総ての経験を引き受けて、知恵豊かに生きる事を目指すと理解しています。
㉝正解
そこから導き出せる一つの答えとして、人の数だけ価値観と正解が存在し、その正解は他人が触れられる様なものではないと理解しています。
仏説阿弥陀経には青色青光とあります。
この句から、一人一人の個性や思想を認め合う発想が、大切な事だと理解しています。
㉞青色青光
同時にこの句から読み取れることは、自分以外の誰かに、自分の持つ正解を他人にも同調を求める事の、戒めの要素が含まれているのではないかと思います。
青色青光という有名な句の前は、地中蓮華 大如車輪です。
池に咲く蓮の花はどれも、まるで大車輪の様な大きい花を咲かせていると記されています。
これは、蓮の様に一つの環境で存在しあい、見えない所で根が複雑に絡み合い、知らない所でつながっている者同士が、それぞれに個性的で素敵な花を咲かせていると読んでも、間違いではないと思います。
自分の正解と他人の正解をそれぞれ認め合う知恵と呼ばれる柔軟な思考を持つ事が、大切だと教えてくださっているようにも思えます。
④比べてしまう
自分の正解を絶対的な感覚のみで引き受ける事は、かなり困難な事だと思います。
私もいつの間にか相対的に物事を捉えてしまい、比較検討してしまう事の方が多い様に感じます。
人である以上、比べてしまう性から抜け出す事はかなり難しいことだと思いますが、そこから自分の至らなさをどれだけ気付けるかが大切な事の様に思えます。
㊶仏説観無量寿経
真宗には仏説観無量寿経という素晴らしい経典があります。
ついつい外にばかり目が行ってしまう私に対して、取りあえずそこから学ぼうか、と説かれているのが、下品下生者に対する阿弥陀様のお声掛けではないでしょうか。
まとめ 正解は持たない
人は、正解を持った瞬間から一切の成長が止まります。
成長を自ら止めてしまいがちな私たちに、伸び代がまだまだ在るよと、教えてくださっているのがお念仏の教えと理解しても良いように思います。
自分と向き合い、経典を自らの鏡にして、自分らしく精一杯生きながら、学んで往くしかないのが真宗門徒の姿なのかもしれません。